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ジャンプ15号感想後編2010-03-16(Tue)

へたっぴ漫画研究所R

 冨樫先生はセンスか技術かで言うと技術の漫画家と言う感じがしますね。もちろん冨樫先生もセンスは

その辺の漫画家よりずっとあるでしょうし、センス型だと思う漫画家さんたちにも技術はあるでしょうが。

あくまで比重の問題で。何が違うかと言うと、センスというのは冨樫先生の言葉を借りるなら「作者の人柄」で

技術は「手練手管」。前者に比べれば後者は我々凡人でも人に教わり、かつ自分で磨くことで高めることが

できると思います。もちろん冨樫先生レベルのそれを身につけるのは並大抵の努力じゃ不可能でしょうけど。

ハンターの息を吐かせぬ頭脳戦も、冨樫先生が言うように「このキャラならこの状況でこうする」に基づいて

作られていると感じますし、読者もそう感じるからキャラに感情移入でき、また「読者が考える最善手」を

上回る最善手をキャラが打てば読者はゴンSUGEEEEキルアSUGEEEEEと感じることで面白く感じると思います。

つまり凡人でも努力を重ねれば「ある程度」面白いストーリー漫画は描くことができますが、ある程度を

超えてめちゃくちゃ面白い漫画を描こうと思ったら+αとして画力やコマ割り、構図の見せ方やセリフ回し、

デザインの魅力などのセンスが必要になると思うのです。ちなみに、ストーリー漫画は「技術」である程度

面白く描けると思いますが、ギャグ漫画は技術よりセンスが大きく、センスが無ければ(ギャグの好みが多くの

人と合致しなければ)全く面白くは無いと思います。もちろんこれもセンスを引き立たせる技術部分も重要ですが。

なので個人的に、センスに頼るギャグマンガの方が描くのは難しいんじゃないでしょうか。

 とまあこの冨樫先生のシリーズは大変参考になる話だと思うのですが、冨樫先生は漫画家としての技量は

素晴らしくてもあの姿勢は糞だと思うので(今回は原稿もきっちり描き込んでますし来週以降も掲載される

なのでやる気を取り戻したのではとも思いますが)「漫画の求道者」「キャラの人格は作者の人格」など冨樫先生の

人格まで持ち上げるのはやめて欲しいです。

ハンター

ゴンKOEEEEEEEEEEEEEEEE!!

ゴン「次ゴタゴタ言ったらそいつを殺す」

もうゴンは完全にキチガイですね。「冷徹」では片付けられないよ。冷徹ってだけならカイト一人のために

巻き込まれただけのコムギを人質に取るなんてしないでしょうし。

ゴン「俺はピトーを信じるよ」「お前も俺を信じてくれるだろ」

これは凄いな…。少年漫画で「信じる」は主人公の常套句ですが、

悪い「信じる」:読者から見て明らかに信頼出来ない人物に対して使われる「信じる」。なぜ信じられるのか理解

        できず薄ら寒く感じる。

      例:ナルト「俺を信じてくれってばよ!」

いい「信じる」:読者から見ても信頼できる人物に対して使われる「信じる」。きちんと納得もいくし、その両者の
        
        信頼関係を演出出来る。

悪い「信じる」いい「信じる」の違いは説得力。岸本先生はナルトを「信頼できる奴」として描いてるつもり

なんだろうけどそれが読者には伝わらないので悪い「信じる」になってしまう。

今週のゴンの「信じる」:ピトーが自分の意に従わざるを得ない状況を作った上での「信じる」。かつピトーから

            したら信頼できようとできまいと信じざるを得ない状況でピトーに求めた「信じる」。

            前者はともかく後者は相当悪質ですね。相手はそうするしかない状況だとわかってて

            「信じてくれるだろ?」なんてわざわざ言っているわけですから。

完全に暗黒面に堕ちて行くゴンですが、もしカイトが元に戻らなければ(というか戻る気がしない)コムギを

どうするんでしょうね?まさか殺したりはしない…するかも知れんが…。いやでもそれは流石にナックルが

許さないだろうし…。

めだかボックス

 ああー…ストレートに兄妹設定かー…。しっかし名瀬ちゃん、いやくじらちゃんはよくわからないキャラですね。

今までで一番アブノーマルだよ。全く理解できない。というか「不幸でなくてはならない」と思っているくじらちゃん

ですが、実際彼女の望む「不幸」が手に入ったとしたらそれは「幸せ」じゃないんでしょうか。なんかパラドックスに

はまってるような気が。むしろ「幸せ」に苦しんでいる状況が一番「不幸」な気がします。

阿久根先輩「もう何が変態で何が変態じゃないのかわからん」

これはwwwwww確かにwwwwしかし真黒さんは妹だと確信したんだから即効パンツを脱ぐべきじゃあ

なかろうか。キャラがぶれてね?

くじらちゃん「大親友の古賀ちゃんみたいに一緒に不幸になってくれるってなら話は別だがよ」

この台詞に古賀ちゃんは引いてますが、今までの付き合いの中でくじらちゃんが不幸を求めていることに

気づかなかったんでしょうか?あと、これについても「一緒に不幸になってくれる友人がいる」という状態は

「幸せ」ではないのかと。

何と言うか、「幸せを否定する」という強烈な異常性に忠実であるならば、どんな行動もとれなくなると

思うんです。人間の行動はどれも自分に望ましい状態を得ようとする物だと思うんですが、くじらちゃんの

それも結局「不幸」=自分が望む状況を得ようとしているわけで、自分が望む状況が達成されると言うのは

「幸福」に違いありませんから。



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